2014/03/11(火)
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3.11
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あれから・・・もう丸3年かぁ・・・。
勤務調整で、午後から出勤した。スタッフの1人から『今日、震災のあった日だから地震来るかもよ』と言われた。charuも昨日考えてた。本当は昨日、夜勤だったんだよねぇ・・・。あの日もちょうど夜勤明けで、震災にあった。だから、夜勤を交替してって言われて良かったなぁって。(謎)『本当は今日、夜勤明けだったんだよねぇ〜・・・』『でしょぉ〜!私も、charuさんが夜勤じゃ無くなって良かったって思った!』そんな話をしていたら、副院長のSDr.が『もうすぐ黙祷の時間だぞ』と口にした。『そうだよ、そろそろだよぉ』『あれは、2・4・6なんだ』『2・4・6?』『2時46分』なるほど!通しの時間で言う癖が付いてて、14時46分と覚えていたけど 普通に言えば2・4・6なんだ・・・。
『俺あん時、これ押さえたのは覚えてるんだ』
と、わざわざ席を立って要冷の薬品を入れるガラスケース(冷蔵庫)を両手で押さえた。あの日日勤だったスタッフが『そうそう♪うちは先生が押さえてくれたから、それ倒れなかったんですよ。上の階は、見事に倒れて壊れたんだから』と言った。『今は押さえなくても、耐震用の固定になってますけどね』アンプルの入ってた薬品棚も、全部ひっくり返ったんだったなぁ・・・。3年も過ぎると、いい教訓になってます。
つい数日前、やっぱり震災の頃の話を別の病棟のスタッフと立ち話した。『あの時はさぁ〜、いっぱい死んだよねぇ』『それって、寿命ででしょ?』『いやぁ〜、あれも震災のせいだよ。酸素はなんとかなったけど、とにかく寒くって。肺炎になった患者さん多かったもの。家族にも連絡着かないし、着いた頃には葬儀屋の手配が追いつかなくてさぁ〜・・・。群馬とかからまで迎えに来て貰ったりしたんだよ。知らない?!火葬場もダメでしょ、何人も他県に送ったんだよぉ』『そうだったんだぁ・・・。ご遺体が並べられて、氷で冷やしていたっては聞いてたけど』返せる患者さんは退院させ、病棟も一部閉鎖してスタッフを増員した。charuの病棟は、最後まで在宅酸素の患者さんの受け入れとかしていたから 電気が無いだけでフル稼働だった。療養病棟では、そんな事が起きてたんだって最近知った・・・。
仕事を終え帰ると、震災の特番がやっていた。何度も何度も眼にしてきた津波の映像・・・でも見るのは、やっぱキツイね。“あの日何が起きたか”って事で、再現映像がを流す際 アナウンサーが何度も言った。“今から流す地震警報は、本当の地震を知らせるものではありません”そして、津波の映像が流れる前もそれによって気分が悪くなり方に“ご視聴を控えてください”って。丁寧な番組作りだなぁって思った。charuは、そのままテレビを見ていた。
ギュイィ〜〜〜ン・ギュイィ〜〜〜ン・ギュイィ〜〜〜ン!
ピクッ!(怖)
頭では分かってるんだけど、思わず側にあった携帯に手が伸びた。鳴ってない事を確認し、そうか・・・こういう事かって実感した。心拍数が一気に上がった。津波の映像は、何度見ても目頭が熱くなり胸が鷲掴みにされる感覚になる・・・。そこには、たくさんの真実があるから。真実・・・ドラマなんて言葉で語ってはいけないって思う。
最後に、震災時の講義みたいなのがあって“地震が来て津波警報がでた。両親は高台の会社で働いてる。子供が海岸近くの自宅に1人で居る。あなたなら、どうしますか?”という問題(?)が出た。答えを求められたアナウンサーが、『海に近付くなっていうのは分かっているんですが、私も子供を持つ身なので・・・』と答えた。ナンセンスな設問だと思います。もちろん、その意図は“だからこそ、今のうちに話し合っておこう”ってことなんですけどね。それも分かるけど、アナウンサーの答えにcharuはまた涙だった。行くでしょ、行っちゃうでしょ・・・。子供は、親が来てくれるって信じて待っているんだろうから。残酷な設問です。自分の身を守る為に、子供を見捨てられるか?に近いとさえ思えた。津波の時は、まず他人を助けるより自分を守れっていうのも 震災を経験して学んだけどね。何かの番組でやっていた。親兄弟でも、助けるよりまず自分が逃げろって。でもさ、実際出来ないよね・・・。そう思うからこそ、亡くなった方も多かったんじゃないかなって思うと やっぱ涙が出ます・・・。
究極の選択だろうね。見捨てるまではいかなくても、もしかしたら救えたって感じてる人は たとえ自分の命が守れてとしても生きてく事がどんなにツライって感じるか・・・。そっちの苦悩の方が、どんなに辛く圧し掛かってくるか・・・。それがPTSDなのかも知れないけど。今も、それで苦しんでる人は多いと思います。
番組の最後に、耐震の行為を子供とやって欲しいって言ってた。家具を固定するなど、そういった事を子供と一緒にやる事で“必要性”を理解する。その子が成長し、たとえば嫁ぎ先でそれを行えば それはテレビの前で遊ぶ“あなたの孫の命を守る事にも繋がる”って。繋がる・・・。あの震災も、ある地域では“地震が来たら津波が来る。高台に登れ”という言い伝えで助かった命もあった。そういう“教え”を、charu達は残していかなきゃいけないんだなって感じた。
東京オリンピック、あと6年後ですね。運よく人生で2度見れる人も居るでしょうけど、普通はたぶん1回だろうと思う。でもあの震災は、人生で1度経験するかどうかの出来事だと思います。風化させないってよく言うけど、charuは今いちよく分からなかった。阪神淡路でも凄い地震だったのに、それを掻き消しそうな取り上げられ方で。なんだか、申し訳ないと思うこともある。違いは、津波???でもこれから予期される地震も、津波が絡みそうだから・・・東日本の震災を、やっぱ心のどこかで教訓にして欲しいかな。“あぁ〜ならない為には”って、考えて欲しい。もう、あんな悲惨な出来事は嫌だから・・・。
身体も心も救われるように、いっぱい家族で避難先とか連絡法とか話し合って欲しいです。
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